横山潤一プロフィール

Pocket

小さい頃は、川崎の郊外に住んでいました。当時はまだ里山が残るところで、裏山の森で遊んだり、秘密基地を作ったりしていました。そんな気分の延長で、工学院大学の建築学科に進学したのですが、コンクリート造や鉄骨造などの勉強ばかりで、なかなかなじめず、中退。一時はバーテンダー仕事などを経て、やはり建築への想いを棄てきれず、山梨に来て、大工になりました。

最初はログハウスの施工をしていたのですが、ある古民家を移築目的で解体する機会があり、日本の木造の仕事の奥深さ、繊細さにのめりこみ、ログから伝統木造へと転向。2001年に「工房 樸(あらき)」という屋号で独立しました。「あらき」とは、切り出したままで加工していない、ありのままの荒々しい木という意味です。木の生命力を活かした建築をしたいという想いで、そのように名乗りました。

その後、八ヶ岳で無垢材と自然素材で家づくりをするネットワーク「木の香」に大工として参加したりしながら、伝統木造の経験を積み重ね、名前を「潤建築」とあらためました。「大工塾」や「職人がつくる木の家ネット」といった、伝統木造を手がける大工たちのネットワークにも参加、木組みによる設計施工を実践し続けています。

北杜市高根町長澤に住んで20年。家族は妻と子ども6人の8人家族。上は高校生から下は保育園児まで、にぎやかに暮らしています。家のすぐ隣が刻み場なので、職人のはたらく姿や木の香りと日常的に接していますし、冬には薪割りの手伝いもよくしてくれます。家が工務店をやっていることを子供達は誇りに思ってくれています。子供達の期待に負けないよう、長く愛される家づくりをしていきたいと思っています。